では、今回は戦略の第三段、経済的自由について述べたいと思っています。
経済的自由とは、簡単に言ってしまうと”お金に困らない状態”になることです。
そんなことが可能か…と思われるかもしれませんが、収入には大きく分けて二種類あります。
(1) 勤労所得
(2) 不労所得
(1)は、そのものずばり、働いて手にするお金です。一番わかりや例は、お給料です。勤労所得は、仕事さえ見つかれば比較的簡単に手にすることができますが、そのかわり病気や怪我、さらには努めている会社の倒産などで働けなくなると簡単に手に入らなくなる所得です。
(2)は、働かずに手には入る所得です。一番簡単な例は、所有する不動産からの家賃収入、もしくは株式などの債券からの配当金などです。これは(1)に比べて入手するのが大変ですが、そのかわり入るようになれば寝ていても手に入る、ありがたい所得です。
さて、経済的自由の話に戻りますと、この自由をえるには、少なくとも(2)の不労所得が、少なくとも働かなくても生活できるだけ十分にあるという状態にある必要があります。
これら、経済的自由に関する詳細は、ロングセラーのロバート・キヨサキの「金持ち父さん、貧乏父さん」に詳しいので、ご覧ください。
自由な生活を手に入れるために…
自由な生活を手に入れたい人たちの広場です。 日々、雑感などを書いています。気軽に遊びに来てください。2010年10月23日
自由に生きる戦略D 〜 経済的自由
2010年10月21日
自由に生きる戦略C 〜 ”支配”の正体を知る
前回、”精神の自由”を得るには、”自分を支配しているものを排除する”ということを書きました。
では、我々がもっとも支配を受けている考え方とは何でしょう?
さまざまな考え方があるでしょうが、それは”学校化社会”であるということを喝破したのは上野千鶴子でした。
彼女は、著書”さよなら学校化社会”の中で、今の日本の世の中が、学校的価値観によって支配されている、と指摘しました。つまり、非常に大雑把な言い方ですが、よりよい学校を出て、よりよい職業について、生涯年収がいくらぐらいで、…という価値観は、すべてこの”学校化社会”の考え方なのだ、というのが彼女の主張です。
それにそまれなからって、だから何なの?という、かつて日本の”学校”の頂点の東大の教授だった彼女からの非常に示唆に富んだメッセージは、目から鱗が落ちるものがあります。
ぜひ、ご一読ください。 そのような価値観など持たなくても生きていける、そんな考え方をしているから世の中が住みづらいのだ、だから捨ててしまいなさい!と私は彼女は私たちに語りかけています。 学校的価値観に振り回され、へとへとになっている人は、これを読んで楽になれますよ。
では、我々がもっとも支配を受けている考え方とは何でしょう?
さまざまな考え方があるでしょうが、それは”学校化社会”であるということを喝破したのは上野千鶴子でした。
彼女は、著書”さよなら学校化社会”の中で、今の日本の世の中が、学校的価値観によって支配されている、と指摘しました。つまり、非常に大雑把な言い方ですが、よりよい学校を出て、よりよい職業について、生涯年収がいくらぐらいで、…という価値観は、すべてこの”学校化社会”の考え方なのだ、というのが彼女の主張です。
それにそまれなからって、だから何なの?という、かつて日本の”学校”の頂点の東大の教授だった彼女からの非常に示唆に富んだメッセージは、目から鱗が落ちるものがあります。
ぜひ、ご一読ください。 そのような価値観など持たなくても生きていける、そんな考え方をしているから世の中が住みづらいのだ、だから捨ててしまいなさい!と私は彼女は私たちに語りかけています。 学校的価値観に振り回され、へとへとになっている人は、これを読んで楽になれますよ。
2010年10月20日
自由に生きる戦略B 〜 精神的自由
では、次に「精神的自由」について考えてみましょう。
これは、経済的自由に比べて非常に難しい概念です。なぜなら、そもそもこの概念ほど、人によって異なる概念はないからです。
そこで、この概念を考えるとき、大事なことは、「自由」という漠然とした正体のよくわからないものについて考えるのではなく、まずは、自分の自由を束縛するもの、つまり、自分を「支配」するものは何か、ということについて考えてみましょう、というのがこのブログで提案したいことです。
つまり、「精神的な自由を得る」=「精神的な束縛からの解放」ということになるわけです。
次回より、具体的にその内容について考察してみましょう。
これは、経済的自由に比べて非常に難しい概念です。なぜなら、そもそもこの概念ほど、人によって異なる概念はないからです。
そこで、この概念を考えるとき、大事なことは、「自由」という漠然とした正体のよくわからないものについて考えるのではなく、まずは、自分の自由を束縛するもの、つまり、自分を「支配」するものは何か、ということについて考えてみましょう、というのがこのブログで提案したいことです。
つまり、「精神的な自由を得る」=「精神的な束縛からの解放」ということになるわけです。
次回より、具体的にその内容について考察してみましょう。